2002年1月5日 記
モデルアート誌その他航空専門誌でご活躍なされた牧英雄氏がご逝去なさったとの報を、はるとまん氏のHPで知りました。
享年51歳。こころからご冥福を祈りたいと思います。それにしても、なんとお若かったことに今さらながら驚きました。私が中学2年の頃、つまり1972年当たりの時期は、モデルアート誌に毎号書かれておられたわけですが、逆算すればまだ氏は学生じゃないですか! 私ら中年モデラーにとって、中学生だった70年代のスターの一人だったんですね。結局私は氏のメイン・フィールドである米軍機ファン、コルセア・ファンにはならなかったけど、資料を解析する(シリアルナンバーリストとその活用なんてのを模型誌に発表した最初の御仁!)、それを模型に反映する(できるとこはやる、できないとこは知っていて目をつむる)、その上でさらに遊んでみたりする(74年のモデルアート誌でマッチボックスの72コルセアのカウリング-カウリングはフジミ流用-に吹雪ジュンのノーズアートを描いたのを覚えています。ただし安西マリア!に似ているとも書いてありました。フェイクの元祖だったかも!)、そういう行為てえのが文化に連なってく(航空情報だったかの、アンブローズ・ビアスの悪魔の辞典の飛行機版も楽しかったですね、あれの粗悪・粗雑なエピゴーネンが某模型誌に最近まで掲載されていたのが情けない)ということを厳しく追求なさった方だったと思います。
しかし、おそらくF4Uコルセアについては間違いなく日本で一番詳しかった方であり、かつ毒と遊び心を持った希有なライターだったと思います。試しにすぐ出せる範囲のモデルアート誌を広げてみますと、例えば、1974年12月号には当時の一大力作F4U-4コルセア連載の最終回であり、当時の国内では航空専門誌などはるかに凌駕するほど詳細なコルセアの解題でした。シリアル・ナンバー・リストの意味と活用法などという極めて啓蒙的な見地は、この記事などで牧氏が国内モデラーに対して初めて導入したものです。またモノクロ塗装図の基礎(言葉でのフォローを最大限に提示)、考証に用いたデータの出所を情報開示する、前号での訂正を進んで発表する姿勢、軽妙洒脱なイラストレーションなど、まだ模型誌で実機の記事を長期連載するなど考えらない時代に、模型記事のあるべきスタイルをこの時点でほとんど確立されたと言えましょう。逆に言えば21世紀の今ですら、この条件をクリアした記事なんて滅多に無いかも?ドイツ機の塗マの飯沼一雄氏などを別にすれば、当時の他のライターとの差は際立っていました。
また一方同じ号のモデルアートのオータキ1/48ウォーホークの記事中で、全共闘世代ならご存じであろう、「腹腹時計」とか「薔薇の詩」「球根栽培法」という題名の爆弾製作指南書のことまで氏は書いています。単なる枕なんですが、こういう灰汁というか毒って、中学生には魅力的でしたね。誌面でしか知りませんでしたが、かーなり、ご本人のあくも強かったんでしょうけどね。航フ「フラフィー」の為さんが、「物識りな楽しい兄ちゃん」なら、牧氏は「あぶない世界も知ってる不良中年」といったイメージでしたね。
拙作タミヤ1/48、F4U-1。素組です。
<2001年1月6日 付記>
私とほぼ同年代で、やはりモデルアート誌で牧さんの洗礼を受けたくちのどんじさんから、牧氏へのデディケーションとして、コルセアの写真をいただきました。「牧さん哀悼、旧作持ち出し。タミヤヨンパチ小改造、C型です。レファランスはオスプレイコルセア本。」製作記事はJG109へ。
思うに、オスプレイ本(Osprey Aircraft of the Aces 8 Corsair Aces of WW2)も、ご存命なら翻訳は牧氏の指定席だったのではないでしょうか?
