「飛行機モデルのポジショニング」

※この記事は、プラモのキャリアうん十年、ないし、既に自己のスタンスが確立しているかたには不要ですので、読み飛ばして下さい。

 下図をご覧下さい。ものすごく単純化していますが、今までのモデラーのスタンスを大雑把に「考証」と「工作」を二軸にとってプロットしたものです。大体キャリアが長くなれば、左下第四象限から、いずれかの象限へ移行していくものです。第一象限は「考証にうつつを抜かしているとプラモなんて完成しないよ」と言うタイプ、第三象限は「頭を使わないモデリングは底が浅いね、と言ってるうちに完成品が減っていくタイプ」、第二象限はどっちも深く攻めていきエクスペルテンになっていくタイプです。昔はライター諸氏と言えば、この範疇のお方だったはずですね。またこの象限まで踏み込んだ深いモデラーは、家族、一般社会生活などは犠牲にしている場合も往々にしてあったりします(^_^) 私個人は第四象限から、やや右下がりで(笑)右方へ移行しつつある段階ですね。

 ところが、最近は単に第二象限へ向かえば、「名人」「プロ」「ライター」になり得るかというと、そうでも無くなり、新たにZ軸が必要になって来たのです。ここでは、仮に「演出・雰囲気・実感塗装」などとしましたが、いわゆるモデラーの「個性」を主張していくことも求められてきたように思います。昔から欧米の飛行機モデルには、AFVもかくやと言わんばかりのくどいウェザリングの作風のものがありました。戦車野郎の泥のようなウェザリング、例えばバーリンデンの飛行機って、そうですよね。昔はこれっきゃ無かったし、巷間伝わるのもバーリンデンばっかりだったので、日本人飛行機モデラーには未だにウェザリングへのアレルギーが強いのかもしれません。ですから、日本の飛行機モデラーは、どちらかというと「精密技工礼賛主義」「精緻・清潔至上主義」でかつ、「飛行機単体至上主義」できたように思います。表面の仕上げ方や細部工作は相当レベルが高くなり、きれいな筋堀や薄く透明度の高いキャノピーなど、日本のメーカーもその要求に応えつつ世界的にもトップレベルまで成長してきたのだと思います。
 しかし逆に90年代あたりになると、飛行機モデルは技法的には定型に固まってしまい、雑誌作例のお手本などは、リベット打ち、凹筋彫り(しか表面仕上げの能がない)の状態が長く続いたように思います。一方、素材となるキットがものすごく精緻になってきたので、基礎技術がしっかりして、少し塗装がうまければ、かなりのレベルにまで見えるようになりました。逆に言えば誰が作っても同じようにしか見えない、というパラドックスに陥ってきたとも言えるのです。ここに至って、名人級でない普通のモデラーでも個性を意識せざるを得ない状況になってきたのではないか、と愚考する次第です。しかしその間、恐らく日本人モデラーでも同時期にAFV、ガンダムの人たちは新たな技法開発を試みたり、新たなアトモスヒャーの表現の開拓などを試みていたように思います。
 同じことですが、これもスケールモデルのレベルがすんごくアップしてきたからこそ、の現象なのでしょうね。80年代ならば、「あのレベルのメッサーG-10」をここまで作り上げてしまう! ということで名人は名人として、はっきり分かったものです。つまりかつては「名人」とは、富士山を一合目から登って頂上を極めた人への栄誉の称号であった訳です。ところが皮肉にも、こ煩い日本人飛行機モデラーが、いろいろ注文を付けてきたからこそ、日本の飛行機模型メーカー、つまりハセガワ(や一部タミヤの)製品を世界的レベルにまで、ボトムアップさせちゃったのです。そうなると、塗装技術が(これもコンプレッサーとハンドピースの定着に伴い)ある程度以上有れば、かなり「らしい」あがりになってしまうのです。こうなると、もはや誰がどう優れているのかややもすると、はっきりしなくなってきます。スケールモデル界がこの段階に成熟したからこそ、「個性」が必要とされるようになってきたのでしょうね。
 まあもっともこういう感覚は、展示会やウェブ等で他人様の作品を目にしなければ、生まれていません。自分一人で楽しんでいる分には関係ない話ではあります。趣味なんですから、必ずしも井の中の蛙がいけない訳じゃございません。でもねえ、ただひたすらリベット打って、筋彫って、資料はインアクションかデデスケだけ、っていうマンネリで満足できるかどうかが、その人の向上心のバロメーターじゃあござんせんか?
 個人的にはずっと言い続けているように、ハイパースケール・オンラインマガジンの主筆ブレット・グリーンを始め、初期中核モデラー、ウォウチョップ氏などの、キャタピラ野郎とは違う雰囲気の醸成を目指す一派?の作風に「がつーん」とノックアウトされました。まさに自分が求めていた世界だったのですね。まあもっともあの連中も、三度の飯よりルフトヴァッフェが好きってクチなんで、まずそこから親近感を覚えちゃったんですけどね。それもあって、なかなか他の海外模型サイトには未だに行きません。
 ところで、同じ水平面上の課題ですが、知識・考証が個々の分野で深まっていき、いっぽうキットの素材時代のレベルが向上してきてしまうと、雑誌ライターも個性の発露以前に、分野違いの仕事を受けたりすると、基礎的なところで読者のレベルを下回ってしまうケースがまま見受けられるようになり、寂しい限りです。ライター諸氏の責任というより、編集サイドの水準が読者に追い抜かれてしまったままなのかもしれません(だって編集スタッフより読者の平均年齢の方がずっと高いんですものね)。最近、記事を読むと、「クチだけうるさいけど、作らないモデラーじゃしょうがない」式の、一見プラモの世界の常套句を借りつつ、実は自分の工作・考証の未熟さの単なるエクスキューズが、枕言葉にやたら増えました。そういう自己防衛しなきゃいけない立場になってしまうライターなんて、寂しい話ですよね。隣の花は赤い、じゃないですが、その点AFVの分野のほうが風通しが良いように思うんですけど、、、、。

 さあでは、今現在その個性の発露ってどんな方法論があるのでしょう。もちろん「個」の話ですから、モデラーが百万人いれば百万通りあるから、こんなん無意味なんですけど(^_^)

 ありゃ、こりゃキリが無いですね。言いたいことはただひとつ、「正統派なんてもはや存在しないんだよん!という事実だけです。ちなみに私は、未だにあんまりベクトルが定まっていませんが、正直言うと、臓物系は飽きてきました(というほど完成品は無いですが)。あれやると、やっぱ負荷が大きすぎなんです。その機体について、トリビアルな表面的差異じゃなく、メカとしての必然性みたいな部分や、実際の使用環境などから勉強しないと辛いところがあるので、賢くはなりますが、当然とっても時間がかかってしまいます。ただでさえ器用じゃない性質なので、仕上げの水準も保とうとすると、これはもう大変なことになってしまうんです。それより、素組みに近い線で、どこか一点豪華主義じゃないですが、どっか一箇所だけのこだわりを持つとか、小さなテーマ設定程度にして、塗装の深み、演出方面(まわりの役者じゃないですよ、本体のヒコーキのね!)に時間をかけたい、と思いつつあるこの頃ではあります。
 結局こういうのも、個人個人の諸条件やら、その人の中での比重によって左右されますよね。独身で可処分所得大!&時間は全部自分のもの!という方と、こども3人奥さん二人(ってことは余り無いかな、、、笑)、あるいは自営業の方で時間の裁量は自分次第というのと、月に残業100時間の(これも今や無いか!)のサラリーマンとでは、そもそも最初から条件が違いますわな。
 下図で、Aを工作や考証の精度やこだわり方、Bが製作数、その和Cは模型製作にかける時関数の合計です。和Cは個人で変動するので人生の全てをプラモに捧げている人はCが大きいですが(^_^)、私個人でいえば固定されたCを、図@のように濃い作風で少数精鋭を目指すのか、図Aのように考証や工作はそこそこに、機種やマーキングなどのバリエーションを楽しむため機数を増やしていく方向を取るのか、未だに決めかねてます。だって気持ちの上ではどうしても図Bを考えてしまうんですよ(笑)。

 まあこういう話は異論もそれぞれ有ると思います。お気づきの点は掲示板にてどうぞ。2002年3月3日記


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