「出戻り」ならぬ「出遅れた」モデラーとは?

 1958生まれである私のプラモ歴は、幼少時のミドリ商会のSFやコグレのロボット、マルサンの怪獣達を別にすれば、小学校高学年頃の、グンゼレベル1/72シリーズとタミヤ1/100ミニジェットシリーズが源流になります。中学になると、少しこずかいもアップしたので、レベル、長谷川製作所の1/32をがんがん作り倒しました。塗装も筆塗りぺったぺたから、缶スプレー、グンゼの簡易エアブラシと発展、高校生になってフジミ1/48「メッサーG〜Kまで何でもござれ」に出会い、ヤング88を手にし、さらに当時雑誌航空ファンに連載されていた為則さんのエッセイや、飯沼一雄氏のドイツエース記事、野原茂氏のドイツ空軍別冊本などのに触発され、ドイツ機ファンの道に転落!するはめになりました。70年代終わり頃でしょうか。

 しかし、大学時代、社会人になってから、なかなか手が動かず、もっぱらモデルアートやホビージャパン(元々はスケールモデルの本だったのですねえ)、航空ファン等の雑誌を読むだけになってしまいました。ですから、80年代のレベル48シリーズやモノグラム・クラッシックスには全然手を触れていません。気持ちは現役モデラーでしたが、実際は積んどくモデラーでしかなかったのです。そんな状態でしたからクラブに所属することなど考えもしませんでした。この頃は主に72の飛行機と、てすさびに72・76のAFVをちまちま作っていました。

 その後、結婚して仕事も変わり、年1000時間の残業が700時間に減った90年代に入って、ハセガワの48メッサーFを静岡のレインボー10の店内コンテストに出品、まわりに大層うまい人がいることを初めて知り、それまで作りたいとずっと思っていながら、大きすぎて(笑)なかなか完成できなかった1/48スケールのキットをぼつぼつ作り始めるようになり、ちょうどその頃誕生したトライマスター社の空冷フォッケや、ハセガワの一連の旧陸軍戦闘機を発売と同時につくっていきました。しかし、何せ一人でつくって自己満足の世界、プラモの友は、月に1回、誌面でしか会えない航フの為則通洋さんだけ、なかなか上達するものではありません。モデルアートが、ハウツー本を出し始めたのでブラシの薄かけとか、研ぎ出しというのは少しづつ分かっては来ましたが、かつて見たナカマ模型の故池田氏の驚異の飛燕・鍾馗、モデルアートの石塚昌弘氏のメッサーG-10みたいな仕上がりがどうしてできるのか全く分からない状態でした。

 東京に転職のため戻り、さらに97年に引っ越しをした街に模型屋と、模型サークルがあり、さっそく入会しましたら、ここは少数精鋭、`96・`98JMC大賞受賞者はじめ、みな高い工作精度に、きっちりした塗りの腕達者揃い。初めて私は、生きて動くモデラーと日常生の会話をし、色々基礎を教えて貰うことができるようになりました。これについては大変感謝しています。

 このように私はモデラー歴だけは年相応に長く、また一度たりとて現役をリタイアしたつもりはないので、決して「出戻り」ではないのですが、同世代の方々に較べれば「出遅れた」モデラーなのです。従って、今現在でも、発展途上、工作精度は荒いは、小物は雑だし、レジンやバキュームなどもってのほか、あら隠しのため、臓物系に走ったり、塗装の水準だけでも何とか向上させようと、ふらふら迷っているような有様です。また、いにしえの名(迷)キットやトライの一連のドイツ機にもたくさん作りたいキットが残っている一方、最新キットはみなおいしそうで、妄想ばかり膨らんで、なかなか完成品は増えないものですね。

 ある程度まとも、といえるのはくだんのクラブ入会後のキットになりますので、下に時系列でリストを書いておきます。まあ、ほんに正統インジェクションばかりでガレージキットは無し、しかも改造全くなしです。なお、このリストの行間に、「こどものおもちゃ」と称する息抜き速攻キットが存在しますが、一応オーセンティックなモデラーと自分では思っているのでここでは割愛しました。

SCALE
メーカー
キット名
備考
1

1997

1/48 ハセガワ  Bf109G-6/R6 ヘルマン・グラーフ機 JGr.50 クラブ入会後初製作
2 12月 1/48 プロモデラー  Bf110G-4 ヘルムート・レント少佐機 98JMC特別賞受賞作
3

1998

1月 1/72 ドイツレベル  Fw190A-8 JG.1ストライプ機首 -
4 1月 1/35 タミヤ  プテラノドンJG.27 -
5 5月 1/48 ハセガワ  Bf109F-2 ハンス・フィリップ JG.54まだら塗装 クラブ展示会用
6 6月 1/72 ドイツレベル  Fwフリッツァー -
7 7月 1/72 ハセガワ  Bf109E-3 ハインツ・ベア
-
8 10月 1/48 ハセガワ  Bf109F-2 デットレブ・ローバー  98JMC出品
9 11月 1/48 ハセガワ Bf109E-4 ハンス・フォン・ハーン クラブ展示会用
10

1999

1月 1/72 ドラゴン  Do335A-0 -
11 2月 1/48 タミヤ F4U-1 コルセア クラブ展示会用
12 9月 1/48 トライマスター  Fw190D-9 JV44ビュルガー・シュタッフェル 99JMC努力賞受賞作
13 10月 1/48 ハセガワ  二式水戦 クラブ展示会用
14

2000

3月 1/72 ドイツレベル  Fw 190A-8&BV246Hagelkorn -
15 7月 1/48 ACADEMY Bf109D-1ヴェルナー・メルダース中尉機 クラブ展示会用
16 8月 1/72 ファインモールド 五式戦由式発動機搭載型 -
17 10月 1/48 トライマスター  Fw190A-8/Neptun 2000年JMC特別賞受賞作
18 12月 1/48 タミヤ  Do335A-0 クラブ展示会用

これ以降の作品リストは「私は何処から来て、何処へ行くのか」参照のこと。あれもいいな、こっちもいいぞ、って夢想するのもまた、プラモの楽しみであります(笑)。誰ですか、「プラモは作った奴が偉い。」と突っ込みを入れるのは?

 ただ、この後、お店密着(地元模型店店主が実質的主催者)のクラブの在り方や店主の保守的指向性と、プラモや飛行機に関する世界観がどんどん拡がっていく私とでは方向性の乖離が生じ、私の方が2001年秋にクラブを辞めました。ワールドワイドウェブで電脳化か進み、情報共有&地理的条件を超えた交流が始まった時代に、店主が全てを仕切り、地元から一歩も出ない村社会的掟の昔ながらの地縁サークルでは所詮水と油。遅れてきたモデラーの私にとっては、足かけ4年の在籍中色々教わることも多かったので今でも感謝していますが、同時にそういう閉じた世界には金輪際戻りたいとは思いません。「遅れてきたモデラー」が一生懸命遅れを取り戻そうとしていたら、いつのまにかクラブのほうがずっと遅れてしまった訳です。しかもくだんの店主、その後は小金にまつわるトラブルの噂もあり、かえって私のほうが迷惑をこうむる始末、そのセイデ同時期に在籍したメンバーは、その多くが去っていきました。逆に現在のメンバーは当時とは大半が入れ替わりなので、私のいた時代や上記の件とはほとんど関係ないことを、クラブ自体の名誉のために付け加えておきます。

 その後私は、しばらく特定サークルには所属せず、ネットで知り合ったニフティ模型サーブの方や、各地のサークルの方、海外サイトのドイツ機マニア、また静岡ホビーショー2003で主催した「フェイク・エアクラフト・コンテスト」を通じて、たくさんのモデラー諸氏、研究家の皆様とのお付き合いが続いております。半ばサテライトメンバーではありますが、オービーズに所属、毎年静岡ホビーショーに出ております。