1/48 Messerschmitt Bf109F-4 (HASEGAWA)

  flown by Obstlt Hans Philipp 6./J.G54 Russia July 1941

1999年に作成。素組です。ドイツ機の魅力にそのカモフラージュパターンの豊富さが上げられますが、JG54のこのまだら迷彩は一度は塗ってみたい最右翼ではないでしょうか?同時期に当時のクラブの先輩ドイツ・ファンのT氏が、同じパターンの塗装で。おなじみフラバク少佐のダブル・シェブロンを作ったので、私は部下のハンス・フィリップ機にしました。意識した訳ではないですが、彼の機は2機目です。デカールはAero MasterのLuftwaffe Top Gynsより。

タイヤ・ウェルは真鍮パイプを貼っています。


 ハンス・フィリップは200機以上を撃墜したエクスペルテンですが、1943年に西部戦線のJG1航空団指令に出世して転勤すると、わずか半年としてP-47に撃墜され死亡してしまいます。 

 「JG54で最初に柏葉付騎士鉄十字章を受けたハンス・フィリップ大尉。第4飛行中隊長として62機もの敵機を撃墜したことが、その受賞理由であった。「フィプス」(フィリップの愛称)は、すでにポーランド戦の時から、JG54に所属しており、最初の撃墜もその際にしている。」(Luftwaffe Jagdgeschwadaer in Eastern front by Werner Held 1986 邦訳 ヴェルナー・ヘルト著 東部戦線のドイツ戦闘航空団 大日本絵画 1990)

 「ここでの任務遂行の過酷さは想像も出来ないだろう。一面、きわめて居心地良く過ごしてもいる。若い娘はたくさん居るし、欲しいものは何でも手に入る。だが戦いは非常に過酷だ。敵の数が多く、ボーイングB-17が十分な防御武装を備えていることにより、座り心地が良い肘掛け椅子と、くつろいだ雰囲気の飛行場から突然に引き離されるのが過酷なんだ。」(1943年10月にJG1司令官になっていたハンス・フィリップ中佐が、東部戦線の古い戦友にあてた手紙より。Jonh Weal FW190 Aces of the Western Front 1996 邦訳オスプレイ・ミリタリー・シリーズ18 西部戦線のフォッケウルフFw190エース 阿部孝一郎訳 大日本絵画 2001)
 
 「東部戦線で200機を越える撃墜戦果をあげていたエースは、第1戦闘航空団の指揮を執っていた6ヶ月間に、このB-17を1機とスピットファイア、P47を1機ずつ撃墜していた」(同オスプレイ本より)

 かようにフィリップは根っからJG54の戦士であり、しかもその大部分を東部戦線でソ連機相手に暴れたパイロットだったと言えるでしょう。ずっと東部戦線では現場で撃墜記録を重ねてきたスーパーエースとはいえ、突然の人事異動、しかも落下傘人事で、本土防空という初めての戦場に変わったのです。さらに中隊指揮官レベルならともかく、、航空団指令という管理職としても重責を勤めろ、という大変な責任を負わされました。ソ連機相手に重ねたスコアは西部戦線では、ぱたっと止まってしまいました。フランス戦当時とは異なり、本土防空という負け戦に変わった西部戦線はもはやフィリップの空では無くなっていたようです。
 いっぽう手紙でも片鱗が見えますが、たいがい大もてだった戦闘機パイロット連中のなかでも、フィリップは名うてのプレイボーイであったようです。誰か失念してしまったのですが部下のパイロットの手記にそのことに触れたものが有ったはずです。
 フィリップは上記の手紙をしたためた4日後、アイフェル山上空でP-47に撃墜されて死亡しました。