昭和20年5月、各務ヶ原か八日市にて、陸軍航空審査部によるテスト飛行前の五式戦Jumo213Aエンジン搭載型。川崎では、明野の111戦隊の機体を回収・改造したらしく前のマーキングがそのままで、審査部を表すのは尾翼下部の番号のみ。後方には捕獲したF-6F-5が見える。
ユモエンジンは昭和19年9月、伊-29号潜水艦で巖谷技術中佐がMe163の資料と同時に運んできたものらしく、同送のFw190D-9の三面図を参考に、川崎で五式戦のエンジン換装、胴体の延長等の改造を行った。
重心位置が前に行き過ぎることが設計段階で判明していたが、井町技師は、翼の取り付け位置変更や、防火壁の移動は時間がかかるため見送り、尾部にバラストを積むことで対処した。しかし、馴れない高性能液冷エンジンの搭載には困難が伴い、20年初旬の改設計開始から初飛行まで4ヶ月を要した。
航空審査部では飛燕2型(-/改)を最もうまく使いこなし、B-29迎撃に度々出撃し、竹澤少尉を含む坂井庵中佐の編隊で数機の共同撃墜戦果をあげているので、ユモエンジン搭載型への期待は高かった。
評価は、速度は十分(約680H/h)だが、上昇力は飛燕2型と大差なし、旋回性能、縦安定性に難あり、全体としてはP-51には敵わない、というものであった。もともと量産の見込みのない1機のみの改造を試みたのは,昭和18年12月に研3の出した時速699.9H/hという日本速度記録を(終戦までに)更新するためとも言われているが、土井・井町技師、荒巻少佐亡き今となっては、真偽の程は定かではない。