「日本最速のレシプロ機」

陸軍高速研究機 Ki-78 川崎 研三

アンリミ・モデル 1/72

はじめに

 研三という機体、日本の単発レシプロ・エンジン機としては最高速度を記録した機体なのですが、その割には距離の記録を狙った航研機に較べて有名では無いように思います。単純に考えれば、地味な距離の記録より「スピード命」のうほうが分かりやすく一般受けするはずなのですが、航研機には木村秀政さんという有名人が関わってたせいなのでしょうか、あるいは開発が陸軍主導なので戦後の海軍人気にかき消されてしまったせいでしょうか。惜しくも700Km/hに少し届かない699.9Km/hと、ドイツのMe209V1の781.97Km/hのFAI公認記録や、He100からは見劣りしてしまいますが、昭和17年の日本の航空技術のひとつの結晶では有りましょう。なお、研三(または研三中間機)という名称は、航研機の次が航二(高々度記録用、ロ式改)で、三番手は航三になるべきところ「降参」に通じるので、研三になったのではないか(山本所員による、渡辺洋二 異端の空より)、という背景が有るそうです。そこで私としては珍しく、機体開発の概略を記すことにします。一人でも研三ファンが増えて、アンリミのキットも売れて欲しいなあ。機体に関する記述は、アンリミのキットの説明書(神谷さん記述)および渡辺洋二氏の記事に負っています。私個人の見解に関してはそうと分かるよう記述してありますので、その部分は鵜呑みにしないで下さいね。

開発の背景
 研三は、陸軍と川崎、東京帝国大学航空機研究所(航研)が共同で開発した速度研究機です。いずれは時速800Km/hの壁も目指したいと考えましたが、戦前の日本にしては珍しく無理をせず、その前段階の技術確立のための中間機として設計されました。私の考えるところでは、このステップを踏まず、いきなり各種の新技術を盛り込んでいたら恐らく研三は、同じ川崎のKi64のように失敗していたことでしょう。設計前にはエンジンを串型双発や胴体内配置・延長軸型式も検討されたそうですから。これはドイツに滞在してその技術を直に知っていた設計主任の航研・山本峰雄所員の冷静さと、陸軍が戦意高揚などのプロパガンダに利用する目的を(何故か)持っておらず、余計なプレッシャーが無かったせいかもしれません。官が余り口を出さず成功した数少ない例(海軍の震電もそう)と思います。さらに、山本所員は冷静なことに、エンジンは輸入したダイムラー・ベンツDB601Aそのものをチューンナップして使用しています。このため、考えてみれば当たり前ですが、残念ながら研三は純国産機では有りません。
 昭和14年に構想が出され、昭和15年から開発開始、昭和17年末に機体が完成しました。陸軍航空審査部の実験戦闘機隊長・加藤敏雄大佐は、完成機を見て「すぐに戦闘機にせよ」と惚れ込んだそうです。中間機とはいえ、東大の谷教授のLB翼という国産設計の層流翼や、ドイツでも実用化できず終いだった表面冷却(冷却液と潤滑オイル両方)、親子フラップ、初の水メタノール噴射、抵抗減少のための厚板外板採用など新技術を取り入れた割には順調な開発で、これは川崎の井町勇技師や試作部長としたかかわった土井武男技師らのシステム・エンジニアリングに近い志向の賜ではないかと勝手に想像しています。また液冷機では当時常に問題とされていた冷却器は胴体内に半埋め込みにし、飛燕やKi60と違い、胴体左右に配置するという日本機では珍しい構成になっています。この配置に関する功罪は触れられていません。
 初飛行は川崎重工の岐阜工場に近い各務ヶ原飛行場で、昭和17年12月に実施、以降昭和18年12月27日の最高速度記録まで32回行われたそうです。戦局悪化のため、航研機のようにFAIの公認を得ることは出来ませんでした。テストパイロットはほとんどが川崎の片岡操縦士ですが、思い切り小さな機体に1500馬力エンジンではトルクが強すぎ、また着陸速度も当初は170Km/h(Ki-44 鍾馗で140Km/hと言われる)前後と高速で、非常に操縦の難しい機体だったようです。途中、福生の陸軍審査部航空隊の荒巻少佐も試験飛行に加わりました。
 研三の二号機は、液例24気筒H型やX型エンジンを用い、主翼は一号機では計画のみに終わったマグネシウム鋳造翼を採用、さらに可変後退翼という構想で、まさに戦争末期のハインケル社のようなユニークさだったのですが、戦局悪化のため中止になりました。なにより日本記録を出したとはいえ、残念ながら研三は生産中あるいは計画中の実用戦闘機の設計に寄与する直接的効果は何も無かったのです。

キットおよび制作について

 キットはアンリミ・モデルの1/72 マルチマテリアル・キットです。胴体や翼はアンリミ・プラッツおとくいの無発泡ウレタン樹脂、風防は透明ウレタン、脚等はホワイトメタルです。2002年のホビーショープロトタイプが発表され、その後再設計、2003年発売となりました。私は1975年に渡辺洋二氏の「大空への挑戦」所収の記事を読んで以来30年、研三ファンでして、2002年のホビーショーでも期待していたのですが、2003年のお正月に開発者の神谷さんのアトリエで、再設計中の丸秘モックアップを見せていただけ、ますます思いは募っておりました。発売されてて即購入、期待に違わぬ素晴らしい製品です。お値段はいささか張りますが、今後この機体のキットが出るはずはなく、設計や品質とのバランスでもお買い得と思います。一連のリノ・エアレース機ラインナップとも通じる美しくも危うい魅力の飛行機です。なお、このキットを作った後では、1/48ラクーン・モデルのレジン・キットは作る気が失せてしまいました。1/72のメカドールやチェコ製簡イをお持ちの方は余計そういう気持ちになることでしょう。
 さて私の完成品のほうですが、本来ならば、最高速度記録時点でのグレー塗装のほうが見た目でも(記録用の黒白帯がキュート)かっこいいし、当然歴史的背景も背負って良いのですが、2003年秋のダブル・シェブロン展示会テーマが「銀」であったことと、メタルのスピナーの磨きだし効果を見たいがため、第1回から第30回試飛行までのアルミ銀塗装状態にしました。実はそうすると、第二風防は装着しない状態が正しいのですが(視界の悪さとエンジンオイルの熱がコクピットにこもるため)、むくの透明ウレタン風防をカットする訳にもいかずそのままです。また主脚カバー(タイヤ部分)は、主脚がずっと入難いため外していた時もあるようです。また水平尾翼の昇降舵下面に、フラッター防止のため、メッサー109のようなマスバランスを装着していますので、これで第12回試飛行以降ということになります。プロペラは日本国際工業製のラチエ式と住友金属製VDM式の2種が用意されましたが、第18回試飛行時にVDM式を用いただけでありはラチエ式で通したようです。キットもおそらくラチエ式をモデライズしていると思います(というか、両者の差が判明する資料など無いのでは?)。確証は有りませんが、各務ヶ原のハンガー前で撮影した写真(完成から3週間後と言われる)で、ペラが黒く塗られているのでもしかしたら、これがVDM式かもしれません。

極端に短い主翼・長い脚

上と左の写真はクリックで拡大
 表面はアルクラッド材そのままではなく、アルミ塗装が施されていたそうです。今回は模型用の塗料・アルクラッドIIのHIGHLY POLISHED ALUMINIUM(E)をメインに使用しました。本格的に使うのは初めてでしたが、エアブラシとの相性は良く大変塗りやすい塗料です。下地はグロスブラックに塗るよう指定されています。そのまま吹き放しではのっぺりしておもちゃっぽい仕上がりになってしまい、仕方なしに何の芸もなく少し暗くしたアルクラッドIIのジュラルミン2色程度をパネルラインに吹いて誤魔化しています。これは下地の仕上げの粗さ隠しでも有ります。本当は時間が有ればパッケージアートのように部分的に使い込んだ表現を再現したかったのですが、一晩で可能な戦術は手持ちの方法しかなく断念しました。2003年の完成機はこれが2機目というペースなので、かなり腕が低下してまして、サフェーサーに車用を使わずクレオスのレジン・サフェーサーを使ったための食いつきの弱さからフィニッシュ時点で日の丸が剥げて補修に大わらわとなったり、結果としてひどい出来になってしまい、開発した神谷さんに申し訳ないものがあります。しかも神谷さん曰く、自分が作った以外の完成品を見るのは、拙作が初めてと仰っていたので尚更です。しかしメタル・むくのスピナーはイイですね。前から松戸迷才会の小室会長や佐竹さんのようなスクラッチ・ビルダー諸氏の金属削りだしムクの磨き上げを拝見して来て、ずっと羨ましく思っていましたのですが、金属加工用旋盤など持たぬプラモデラーには金物の加工は敷居が高く、アンリミのキットでセットされていたのは嬉しい限りです。

 起動車と較べるといかにコンパクトな機体か分かりますでしょう。脚は指定の角度に接着したのですが、写真と較べるとずいぶん竹馬状態で、まるでハインケルHe100のよう。第31回の最高速飛行の際の右斜め前からの写真(下記SKY NET-1のサイトに掲載)と比較すると、やはりこれ位足長で前方視界が無いようにも思えますが…。なお、研三はDB601エンジンなので、隼や鍾馗のように起動車は不要ですが、本来の脇役であるべきハセガワの1/72給油車が行方不明なので代役です。
 なお、主脚カバーが暗色に見える写真が有り(昭和18年12月10日飛行試験時)、わたしはしまりの悪いカバーにパテなどをかったため、スプレーで上から色を吹いたのでは、と推測しましたが、神谷さんは翼の影になったための錯視という説で、それに従いました。ビジュアル優先の私としては、本当は錆止めプライマーの暗赤色を塗って大阪は大正飛行場の鍾馗みたいにしたかったんですけどね(^o^) ホワイトメタル部品はゴム系接着剤で留めるよう指示があり、これは勉強になりました。瞬間ですと位置決めが難しく、また経年変化ですぐ取れてしまいます。
 また昇降舵のマスバランスももちろんメタルなんですが、これ非常に嬉しい心遣い。マスバランスはメッサーシュミット教授がいい加減戦争末期になってまでも多用してるんですが、メッサーのキットって完成後しばらくすると大体プラの場合折れてしまうんです。といって48でも小さくて自作は大変なので、できればプラッツさんから別売パーツとして発売してもらえないでしょうか。海外のサードパーティーでもレジン製はあれど、メタル製は寡聞にして知りません。ファインモールド社の1/32真鍮機銃より売れるんではないでしょうか?
参考資料
<書籍>
●最高速レシプロ機「研三」 文春文庫「異端の空」所収 渡辺洋二著 2000年
 ※別冊航空ジャーナル「大空への挑戦」(1975年)、朝日ソノラマ文庫「大空のエピソード」(1990年)もほぼ同様の内容
●精密図面を読む [4] 日本陸 / 海軍の試作機  酣燈社
●キ78(研三)設計記 山本峰雄 別冊航空情報・知られざる軍用機開発(下巻)※初出航空情報1957年2月号 他
<ウェブサイト>
SKY1NET-1内   松葉 稔の「精密図面を読む」研三(写真一葉)
小泉和明プロダクションのWEBサイト内 イラス
Rod's Warbirds Ki78 ※勝手なスキャン画像集成と思われ、道義的には気が引けますが、便利は便利 なサイト(^_^;)