1/72 CAUDRON Renault C635 "SIMOUN"(Heller)

「空を耕す人」 

「星の王子様」で有名なアントワーヌ・ド・サンテグジュペリが1938年、ニューヨークから南米のパタゴニアまでの対外宣伝飛行に使ったシムーンです。彼はシムーンがお気に入りだったようで、この飛行の前にも、15万フランの賞金を狙って、パリ〜サイゴン間のレースに出場、馴染みのプレヴォ機関士同乗で1935年12月29日、ル・ブールジュを離陸、ベンガジからカイロへの途上、砂漠の丘に全速力で衝突、不時着しています。アラブの隊商に救助されるまでの3日間の砂漠の放浪が、後に「星の王子様」の源泉になったと言われています。この時の機体は背中が白、残りが赤で、F-ANRYというレターでした。テクスはこれに懲りず再びシムーンを購入、パタゴニア飛行を試みるのです。2月15日朝早くニューヨークを離陸しましたが、翌日午後グァテマラ飛行場離陸に失敗し、機体は全損、サンテックスは骨折6カ所の重傷を負い、その後左腕が肩より上に上がらなくなってしまいました。後年その体と40歳を過ぎた年齢で、米軍のイェーカー中将をくどき、無理矢理地中海の前線に出陣、双発大馬力のF-5B273号機に搭乗中、1944年7月31日、生まれ故郷のリヨン近くで消息を絶ちました。独軍のハイヘエル見習い士官の操縦するFw190D-9に撃墜されたという説も出ましたが信憑性には欠けるようです。2000年に海中から彼の機体の一部が見つかったという報道がありましたが、仏政府は引き上げしない模様です。テクスは戦時中は「戦う操縦士」の著作により連合国側パイロットのヒーローでしたが、パイロットとしての適正にはやや疑問符が付くようで、離陸して30分ほど過ぎるとすぐに「思索」モードに没入してしまい、機位を見失うことがしばしばあったそうです。しかし、彼は「私は農夫が畑を耕すように、空を耕す人になりたい。」と言っています。飛行家でこれほど深い言葉を吐いた人がほかにいますでしょうか。飛行家としての彼の存在意義があったのは1930年代、1次大戦のパイロットだったラテコエールの設立した郵便飛行会社で、盟友ジャン・メルモーズ、アンリ・ギヨメや敬愛するディディエ・ドーラ達と南米の新航路を開拓していた時代で終わっていたのかもしれません。奥さんのコンスエロ(彼女の自伝もでましたね)は、ブエノスアイレスで知り合っています。その後は作家としての名声に囲まれて、土の上で暮らすこともできたでしょうに、飛行家の性がそれを許さなかったのでしょうか。

「ぼくは死んだように見えるかもしれない。でも、それは本当じゃないんだ。」

(参考文献:「星の王子さま」航空ジャーナル82年4月 手島尚「サンテグジュペリの生涯と飛行機」、「空を耕す人」。「永遠の星の王子様-サンテグジュペリ最後の日々」)

エレールのキットは大変小粋でかわいらしいもの。キャノピーの摺り合わせにやや苦労しますが、他のエレールのキットの経験者ならお分かりの通り、パーツ状態では野暮ったくフロッグみたいな感じなのに、組上がると得も言われぬ雰囲気が漂ってきます。私のはものすごく昔の完成品です。上がりは見られたものじゃありません。2000年が生誕100周年だったので、「星の王子様」がやたら再版されて懐かしくなり、モスボールから出してきました。白ストライプとレターはインレタです。

(これは14歳のときに模写したものです。あはは。)