私もときおり投稿させていただいている「JR横浜線の昔」の管理人、中山駅中線さまからのご投稿です。
 なんでも出張で富山に行かれた際に撮られたカットだとか。 (撮影日:2005.06.17)
 特急型が近郊型に改造されても、見たこともない塗装に変更されても、国鉄型には言葉では言い表せない「味」があります。
 一番下の特急色ボンネット型は寸評を付けるまでもありませんね。
 (中山駅中線さま ご投稿日:2005.06.26)
投稿編 @  皆様からご投稿いただいた国鉄型車両
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旧・横浜機関区にお勤めだった「リック」さんからの投稿です。
(リックさま ご投稿日:2012.01.09)
          
撮影日は1984年の夏。
DD13最後の夏です。
当時の横浜機関区です。
扇状区の屋根には排煙用の煙突がならび、その脇のとても短い引込み線にたたずむDD13。   
まるでジオラマのような風景です
扇状区を撮影したものです。
管理人は扇状区を裏の道路から垣間見た記憶があります。
上段のカットの逆サイドです。
ターンテーブルの中から撮影した貴重なアングルです。
横浜にもこのような場所があったとは、昭和がますます懐かしく感じられます
出庫するEF65 500番代とDD13です。
DD13は磯子の入替用で、午後に高島を出発する重連貨物が設定されていました。
機関区内に憩う、DD13とEF65 500番代です。
こちらはPFとDE10との並びです。
国鉄色のPFと0番台のDE10。
まさに昭和の1カットです。
旧・横浜機関区内を移動するEF60(シールドビーム改造)です。
誘導されているのは、ご投稿者のリック様です。
1984(昭和59)年1月、雪の中のEF60です。
原型一つ目のヘッドライトが泣かせます。
型式消滅して久しいEF15です。
所属は東京機関区。
東京の真ん中に茶色い電機のねぐらがあったとはちょっと驚きです。

先台車のスポークが印象的です。
1984(昭和59)年1月1日、旧横浜機関区の扇状区に勢ぞろいしたDD13です。
翌年にはDE10に置き換わってしまったので、最後の晴れ姿と言ってもよいでしょう。
こちらは上段のカットの別アングルです。
1985(昭和60)年1月2日、DD13に換わり扇状区に勢ぞろいしたDE10です。
残念ながらこの姿を長年にわたって見ることはできませんでした。
1982(昭和57)年7月に旧・横浜機関区構内で撮影されたEF65です。
写っているのは、後にスーパーエクスプレスレインボー塗装となる1118号機。
一見単なる型式写真のように煮えますが、実は3軸脱線しています。
(リックさま ご投稿日:2012.05.03)
正面から見ると、わずかに傾いています。
EF15が懐かしい。
完全に脱線しています。
1985(昭和60)年1月、横浜機関区内で発生した脱線事故です。
傾いたEF60、その傍らには救援車らしき旧型客車が停車しています。
大勢の人たちが復旧作業に当たっています。
EF60は全軸脱線です。
他の鉄道趣味サイトではなかなか見かけないスクープ的な画像です。
105系落成試運転時の1カットです。
撮影場所はなんと鎌倉駅構内。
上段カットのスカ線との並びです。
105系が営業運転に入ったら二度と見ることのできない組み合わせです。
鎌倉を発車した試運転列車です。
撮影は1980(昭和55)年頃です。
横須賀に進入する205系試運転列車です。
運転席には鈴なりの乗務員が・・・
保土ヶ谷を発車した上り試運転列車です。
横須賀線はよく試運転列車が運転されました。

撮影は1985(昭和60)年頃です。
1980(昭和55)年頃、鎌倉での1カットです。
写っているのは田町電車区の155系による集約臨(日光臨)。
すでに湘南色に変更されていますが、155系の本来業務と言える運用です
1981(昭和56)年頃、南武支線川崎新町での1カットです。
写っているのはEF5844と101系置き換え間近のクハ16+クモハ11の2B。
まるで鉄道模型雑誌の表紙のような組み合わせです。
川崎新町-尻手は単線のため尻手行き電車が信号が開くのを待っています。
実はこの川崎新町、管理人の亡父が助役代行として勤務し
貨物列車と初電・終電に出発合図を出していた、大変縁のある駅です。
臨時の「サロンエクスプレス踊り子」です。
61号機は色的にもサロンエクスプレス東京と違和感なく感じられました。
1984(昭和59)年8月に運転されたミステリー列車「海底トンネル号」です。
撮影場所は高島駅構内。
EF66とのPPで運転されましたので、後位になった際のカットでしょうか、
尾灯が点灯しています。
1982(昭和57)年6月、旧東大宮操車場内での入れ替え風景です。
写っているのは一般塗装で唯一お召列車を牽引した172号機。
きれいに整備されています。
寝台列車を入れ替えているようです。
この172号機、今は碓氷峠鉄道文化むらで余生を送っています。
1982(昭和57)年6月、旧東大宮操車場内での1カットです。
機関車大集合といったところでしょうか。
左のEF58 106号機は長岡から宇都宮へ転属したカマで、
上越仕様のままその生涯を終えました。。
右のEF81 95号機は言わずと知れた「レインボー」塗装機のローズピンク時代です。
機関車大集合第2段です。
2両のEF80は中央が前期型、右が後期型でヘッドライトの形が異なります。
ちなみに前期型の一体型ヒサシは落成時からのものではなく、
後年取り付けられたものです。
EF62を含めて型式消滅してしまいました。