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1998年5月、松本での1カットです。
投稿者は「管理人の同行人」さん。
その名のとおり管理人の25年来のテツ仲間で、彼とは信州方面を中心に
湘南色急行型やEF62、ED62を追いかけて何回も撮影旅行に出かけました。
このカットは臨時急行「アルプス」・「ちくま」を撮影に出かけた際のもので、
松本で両列車の奇跡の並びが実現したにもかかわらず、管理人のフィルムに余裕がなく
「管理人の同行人」に撮影してもらったといういきさつがあります。
三鷹の169系も宮原の165・167系も過去の形式となってしまいました。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2010.12.19) |
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1976年5月、日光駅での一コマです。
同行人の初めてのカメラ(110フィルムのコダックのポケットカメラ)で
修学旅行の帰りに乗る電車が入線してきたところを撮影したものとのことで、
同行人の記念すべき?鉄道写真第1作とのことです。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2013.12.28) |
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1978年8月、長野駅でのカットです。
EF62-22が牽引する高崎発長野行321レが到着したところです。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2014.01.11)
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こちらは、急行「赤倉」が名古屋に向けて轟音とともに堂々12両で出発してゆくところです。
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昭和54(1979)年9月横浜線中山駅での一コマ。
当時は1日5本ほどの東神奈川〜中山間の区間運転が設定されていました。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2014.02.01) |
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同電車の中間車サハ78の車内です。
三段窓の様子が分かります。
木の床と「にぎり棒(スタンションポール)」も懐かしい光景です。
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昭和54(1979)年9月、クモニ13を先頭に中山に到着した上り列車です。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2014.02.11) |
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上段列車の乗降シーンです。
軒下の番線表示と時計に昭和を感じます。 |
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夕暮れの横浜線中山駅です。
橋上駅舎になる前で、中線には冷房改造された103系が停まっています。
撮影は昭和54(1979)年9月。
旧型国電最後の活躍です。 |
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中山駅中線に進入する中山止まりです。
跨線橋越しの1カットです。 |
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桜木町を出て関内に向かう横浜線の73系磯子行きです。
撮影は昭和54(1979)年9月。
4両編成のまま1日10本ほどが根岸線の磯子まで乗り入れていました。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2014.03.15) |
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磯子で折り返し関内を出発する原町田行73系です。
京浜東北・根岸線はすでに10両編成でしたので4両編成の横浜線73系は
ホームの中央付近にしか停まらず、乗り遅れる人が続出?しました。
ATC化を控え導入されたピカピカの103系を横目に
吊り掛けの音も力強く加速していきました。
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関内で横浜線73系を待っていたらやって来たEF65-1030牽引の自動車運搬貨物です。 |
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東神奈川駅で発車を待つクモニ13併結の八王子行です。
撮影は昭和54(1979)年9月です。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2014.06.01) |
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そのクモニ13の車内。電球に照らされた薄暗く内貼りもない独特の車内。
左手奥に区分棚と丸イスがあるのがわかります。 |
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最終日のクモニ13併結、東神奈川行電車。菊名駅にて。 |
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中山駅を発車する73系さよなら電車。小雨が降るあいにくの天気でした。 |
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中山駅ホームの看板。手作り感満載です。 |
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さよなら運転後、
さよなら運転に使用された編成がしばらく東神奈川駅に留置されていました。
現在は、1・2番線のホームになっています。 |
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ひと足先に運用を離脱した編成には、
検修係のものか「永い年月ごくろうさま」とメッセージが記されていました。 |
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朝の鶴見線弁天橋電車区です。73系置き換え用の101系も見えます。
撮影は昭和54(1979)年12月です。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2014.06.07) |
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電車区からロクサン顔が貴重なクモハ73289が出てきました。
弁天橋駅にて。 |
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クモハ73289の車内。
ニス塗りです。 |
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国道駅に進入するクモハ73289を先頭にした73系3連です。 |
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鶴見小野駅に進入する全金クモハ73を先頭にした73系3連です。 |
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尻手駅に停車中の南武支線クハ16+クモハ11です。
現在はワンマン運転ですが当時は車掌も乗務していました。
撮影は昭和55(1980)年10-12月です。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2014.08.03) |
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川崎新町駅に到着する南武支線クハ16+クモハ11。 |
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浜川崎駅を発車したクモハ11+クハ16。 |
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武蔵白石駅を発車して大川駅に向かう鶴見線大川支線のクモハ12053です。 |
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大川駅に到着したクモハ12053。 |
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大川支線のクモハ12053の車内です。
単行でも車掌が乗務していました。
照明は電球で丸いカバーが付いています。 |
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八木原〜渋川間を行くEF12+EF15重連の下り貨物列車です。
先頭がEF12でエアフィルタの形状や窓配置がEF15と異なります。
撮影は昭和56(1981)年5月。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2014.09.07) |
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渋川に到着後、入換作業にあたるEF12のトップナンバー。 |
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入換作業後、吾妻線貨物列車の組成に入ります。ホキの連結作業。 |
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渋川での入換作業後、吾妻線下り貨物として発車待ちのEF12の横を
下り特急「とき」が通過して行きました。 |
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吾妻線祖母島付近を走る下り貨物。
EF12のサイドビューです。 |
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祖母島付近を走る折り返しの上り貨物。
荷はホキ1両だけでした。 |
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昭和59(1984)年廃止の「日中線」です。
DE10牽引の熱塩行列車がやってきました。
撮影は昭和59(1984)年1月。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2015.08.15) |
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車内の様子。
ガタゴト走ります。
冬なのに貫通扉が開いていて牽引するDE10の顔が見えます。
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熱塩に到着後の機回しの様子。
現在のワンマンディーゼルカーの折り返し運転に比べると、
当時は多くの人員を要していたことが伺えます。 |
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機回しが完了し、喜多方に向けて出発準備完了です。
ところがSGが焚かれていません。
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客車は2000番台の電気暖房改造車です。
ED77が牽引する磐越西線電化区間用でしょうか。 |
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こちらも2000番台の電気暖房改造車です。
短区間なので無暖房ということでしょうか。 |
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昭和59(1984)年廃止の「清水港線」です。 撮影は昭和58(1983)年8月。
三保で発車を待つDD13牽引の清水行列車です。
清水港線は貨物機のDD13が客車を牽引することで有名でした
(管理人の同行人さま ご投稿日:2015.08.16) |
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巴川可動橋を渡る清水行列車です。 |
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清水駅ホームにあった注意書きです。
清水港線の最大の特徴は旅客列車が1日1往復しか設定されていないということでした。 |
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昭和55(1980)年3月、終着新大阪をめざす寝台特急「なは」です。
撮影地は塚本です。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2017.03.26) |
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宮原から大阪へ送り込み回送の急行立山1号です。 |
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DD51 1192牽引の客レです。福知山線からのものと思います。
1192号機は、撮影時はまだ落成から2年半ぐらいの頃なのでまだピカピカです
いまだに現役のようで長く走ってもらいたいです。
(管理人の同行人さま ご投稿日:2017.04.01) |
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塚本駅の大阪側から撮影したものです。
クモニ83と153形のこの写真、工場入場車か廃車回送と思っていましたが、
その後、急行「鷲羽」の回送であるらしいことが分かりました。
よく見ると153形の編成が、8+4の12両でGも1両組み込まれた鷲羽の編成です。
鷲羽は新大阪に到着後、向日町運転所まで回送され、
そこで同じく宮原電車区に戻るクモニ83を連結して、
宮原電車区まで回送されていたそうで写真と一致します。 |