信濃路の轍  信越本線 EF62最後の活躍と湘南色急行型 ほか
EF62最後の定期貨物列車です。
下関区に大量に転出した後、信越本線に残ったのは
41号機、43号機、46号機、49号機、53号機、そしてラストナンバーの54号機でした。
これら6両の定期始業は急行「能登」の上野〜直江津のみでした。
下り「能登」牽引で直江津に着いたEF62は深夜の上り「能登」牽引の任に就くまで
間合い運用として黒井〜二本木の貨物列車1往復をこなします。
画像は二本木到着間近の1カットです。
上段のカットと同じ場所で別の日に撮影した54号機です。
C-C台車のジョイント音は独特でした。
二本木を出発してまもなくのEF62です。
急行「能登」が電車化されるとEF62の定期仕業はなくなり
黒井〜二本木の貨物列車はEF64が担当することになりました。
犀川鉄橋に差し掛かるEF62牽引の12系客車です。
冬場のスキーシーズンの金曜日の夜に運転されていた
臨時「妙高・戸狩スキー」の回送列車で土曜の朝は必ず見ることができました。
この41号機は晩年、車籍こそは残りましたが部品供給機としてその生涯を閉じました。
EF62 53号機牽引のオク座「なごやか」です。
早朝の豊野付近を走る、EF62牽引の12系客車です。
臨時の夜行急行「妙高」として妙高高原に着いたこの編成は回送で長野まで戻り
臨時急行「信州84号」として上野に向かいます。
犀川を渡る上り臨時急行「信州」です。
スキーシーズンでなくても下り「妙高」が運転されると、その折り返し運用としてよく運転されていました。
この53号機はEF62唯一の定期仕業だった急行「能登」が電車化されると、
49号機とともに一足早く廃車になってしまいました。
初夏の信濃追分付近を走行する、EF62牽引の12系客車です。
冬の信濃追分付近を走行する、EF62牽引の12系客車です。
豊野付近を走行する、EF62牽引の14系客車です。
秋には長野新幹線が開業し、横軽が廃止となったこの年の夏、
黒姫で開かれたイベントへの団体客輸送のため集中的に多くの臨時列車が運転されました。
このとき田端区に残っていたEF62は、41号機、43号機、46号機、54号機の4両で、
41号機は部品供給機扱いになっていましたから実質稼動は3両。
この3両がフル稼動でした。
こちらも豊野付近を走行する、EF62牽引の14系客車です。
黒姫付近を走行する、EF62牽引の14系客車です。
牽引しているのは54号機。最後の夏には塗装がすっかり色あせていました。
こちらも黒姫付近を走行する、EF62牽引の14系客車です。
背景にあるはずの黒姫山がEF62と同時にその姿を見せることはありませんでした。
御代田付近を走行する、EF62牽引の14系客車です。
晩年のEF62のパートナーとなったのは12系・14系客車ですが、
そのほとんどがこの画像のように6両編成でした。
しかしごくまれに9両で運転されたこともありました。
初夏の信濃追分付近を行く、EF62牽引の14系客車です。
盛夏の安中付近を走行する、EF62牽引の14系客車です。
(※撮影場所が群馬県内のため厳密な意味では“信濃路”ではありません。ご了承ください。)
こちらも安中付近を走行する、EF62牽引の14系客車です。
EF62にとって最後の夏の活躍でした。

(※撮影場所が群馬県内のため厳密な意味では“信濃路”ではありません。ご了承ください。)
長野で出発待ちの、上り臨時急行「信州」です。
陰になって見難いですが、12系客車を6両つないでいます。

まだ無線アンテナが設置されていないころの1カットです。
豊野付近での1カットです。
この日は牽引すべき貨車がなく残念な思いをしましたが、
国鉄色のEF64重連単機とは今思えばとても贅沢な話です。
上段のカットと同様、豊野付近で撮影しました。
この日は堂々たる重連貨物でした。
二本木付近での1カットです。
降り始めた雨の中、ヘッドライトがとても印象的でした。
EF64 0番台重連の下り貨物列車です。
上り線に見えているのは381系「しなの」です。
1981(昭和56)年夏、横川での1カットです。
画面右手奥に留置されている緩急車が、59.2のダイヤ改正前であることを物語っています。
長野駅構内で憩う、DD16です。
この日、飯山線で団臨が運転されましたので、その牽引機と思われます。
犀川鉄橋に差し掛かる、宮原区の165・167系臨時急行「ちくま」です。
松本で併結する急行「くろよん」の運転がない日は8両で運転されていた頃の画像です。
もっともそれより以前、「ちくま2号」として運転されていた頃は、「くろよん」運休日は12両編成でした。
湘南色になってもクハ167の車内には、スピードメーターが残されていました。
犀川鉄橋を渡る、臨時急行「ちくま82号」です。
この列車名を名乗る頃には、4両が定番となっていました。
タイフォンカバーに特徴がある宮原区の165・167系です。
豊野付近を走行する、上沼垂区の165系による急行「とがくし」です。
長野〜妙高高原は普通列車であるため表示は“普通”となっております。
豊野の築堤を行く、165系ムーンライト色+湘南色です。
冬の早朝、氷点下10度の中での撮影でした。
犀川鉄橋に差し掛かる、381系特急「しなの」です。
長野駅では189系「あさま」と並んでよく見かけられたこの車両も、今となっては思い出です。
黒姫付近を走行する、ボンネット型489系特急「白山」です。
できれば国鉄特急色時代に撮っておきたかったものです。
浅間山の麓を走行する、ボンネット型489系特急「白山」です。
EF62ねらいの合間に撮った1カットです。
こちらも浅間山の麓を走行する、ボンネット型489系特急「白山」です。
安中付近を走行する、ボンネット型489系特急「白山」です。
(※撮影場所が群馬県内のため厳密な意味では“信濃路”ではありません。ご了承ください。)
御代田付近を走行する、ボンネット型489系特急「白山」です。
豊野付近を走行する、485系臨時特急「スーパー雷鳥・信越」です。
大阪〜長野を走ったこの列車に全区間乗車してみたかったと思うのは私だけでしょうか。
浅間山の麓を走行する、189系特急「あさま」です。
撮影当時は1時間に1本見ることができる最もポピュラーな列車でした。
安中付近を走行する、189系特急「あさま」です。
(※撮影場所が群馬県内のため厳密な意味では“信濃路”ではありません。ご了承ください。)
165系お座敷電車「なのはな」です。
湘南色一筋で撮影していた当時の私にとってはコマ稼ぎの1カットでした。
真冬の朝、豊野付近で撮影した飯山線からの長野行きです。
後2両の飯山線色も過去のものとなってしまいました。
1982(昭和57)年の2月、長野駅の構内に留置されていたED60です。
このカットからはよくわかりませんが、パンタグラフは荒縄で縛られて
上がらないようになっていました。
大糸線でお役御免になったものでしょうか。
1978(昭和53)年の3月、急行「赤倉」の車窓から撮影したEF15牽引の貨物列車です。
(※撮影場所が新潟県内のため厳密な意味では“信濃路”ではありません。ご了承ください。)
1978(昭和53)年の3月、特急「北越」です。
画面左側には新潟色の70系の姿が見えます。

(※撮影場所が新潟県内のため厳密な意味では“信濃路”ではありません。ご了承ください。)
強い夏の日差しの中、犀川を渡る115系湘南色の各駅停車です。
2005(平成17)年の4月、直江津で撮影した「妙高」です。
昼行の各駅停車で指定席車連結という変わり種列車でした。
<四季を往く>掲載分  @ A
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