宮古付近の鉄橋を渡る、山田線の貨物列車です。
牽引機はDE10。
釜石での機回し省略のためか、プッシュ・プルでした。
その昔C10が走っていた、宮古付近の臨港線を行く入換え仕業です。
市場からの水産品を積んだ貨車は宮古で貨物列車に組成されて旅立ちます。
(上段のカット参照)
上段のカットの逆側です。
残念ながら列車(入換え仕業)は撮影できませんでした。
大船渡線を行く、DE10牽引貨物列車です。
一ノ関〜陸中松川に2往復の専用貨物が設定されていた大船渡線ですが、

午前中の1往復は単機牽引、午後の1往復は重連牽引といったパターンが多いようでした。
このカットは午前中の下り列車です。
北上川を渡ってまもなくの築堤(上り勾配)を行く、大船渡線の午前中の上り貨物列車です。
速度は30km/h程度しか出すことができません。
上段のカットと同じ築堤を行く大船渡線の午後の下り列車ですが、
この日は牽くべき貨車がなく重連単機でした。
軽快に築堤を駆け下りて行きましたが、折り返しの上り貨物は編成も長く、
重連牽引をもってしてもこの場所では28km/hしか出すことができないとのことです。
(機関士談)
秋の陸羽東線を行く、上り貨物列車です。
この鳴子峡付近は勾配がきついため、下り列車はゆっくりと上り列車はあっという間に
鉄橋を渡っていきます。
この日の緩急車が1両だけ。あっという間にトンネルに隠れてしまいました。
上段カット翌日の同じ列車です。
この日は緩急車のほかに何両かの貨車が連結されていました。
こちらは下り貨物列車です。
前日に曇天で撮影した同じ列車はきれいな紅葉のカットとなりましたが
晴天では谷間の陰影が災いしてしまいました。
石巻線の貨物列車です。
DE10が小牛田〜石巻を何往復もしていました。

牽引している1199号機はその昔、五能線で混合列車を牽いていたカマです。
こちらも石巻線の貨物列車です。
撮影当時の午後のコンテナ列車は石巻線貨物列車の中で
一番長かったように記憶しています。
田園地帯を行く、石巻線の貨物列車です。
牽いている貨車にはコンテナ以外に、有蓋車やタンク車などもありました。
こちらは有蓋車のみの編成です。
石巻線DE10単機です。
上下列車本数の調整のため単行機関車が設定されていました。
磐越東線を行く、DD51の重連単機です。
郡山から大越まで専用貨物列車が設定されていましたが
今ではそのセメント輸送もなくなってしまいました。
上のカットと同じく磐越東線を行く、DD51の重連単機です。
残念ながら貨車を牽引した姿を収めることはできませんでした。
磐越西線のDD51牽引の車扱貨物です。五十島付近で撮影しました。
磐越西線広田付近を行く、ED77牽引のコンテナです。
会津若松をコキを牽いて出発した上り貨物列車は
次の広田でセメント用のタキを連結し、郡山へと向かいます。
会津若松もデポ化されてしまい、ED77を含めて画像の中のものすべてが
想い出となってしまいました。
両毛線での1カットです。
常磐線の植田から信越線の安中まで水戸線・両毛線経由で鉱石を運んでいました。
小山からの牽引機は高崎区のEF65一般型(6号機)です。
水戸線では下館でセメントの扱いをしていました。
牽引機はローズピンクのEF81、昔はEF80がその任に就いていました。
旧・鹿島鉄道の桃浦付近です。
自衛隊百里基地への燃料輸送は2003年まで続けられました。
地方私鉄で貨物列車が運転されていた貴重な存在でした。
青梅線の軍畑付近を行く、ED16牽引の石灰列車です。
実のところ撮影ポイントに着く前に来てしまい、止むなく踏切で撮影した1カットです。
小さいけれども風格のある古武士といった感じの機関車です。
青梅線軍畑の鉄橋を行く、ED16牽引の貨物列車です。
残念ながら後追いとなってしまいました。
拝島に停車中のED16です。
横須賀線、北鎌倉で偶然撮影したEF65 540牽引の貨物列車です。
編成内容は田浦までの車扱貨物でしょうか。
1980(昭和55)年の夏、相原に進入する横浜線橋本行き上り貨物列車です。
牽引機はDE10-557。
短い編成ではありますが無蓋車には材木が満載されています。
後年、日本通運の関係者に話しを聞いたところ、積荷は津久井製材あてであろうとのことでした。
上段のカットと同じ日に相原で撮影したDE10-556牽引の下り貨物列車です。
当時の横浜線は相原・八王子間がまだ単線で、多くの列車がこの相原で交換待ちをしましたが、
この列車は交換待ちすることなく通過して行ったのを覚えています。
横浜線の上り貨物列車です。
橋本-相原で撮影場所を探していたところ適当な場所が見当たらず
やむなくレリーズを切った痛恨の1カットです。
1981(昭和56)年の春、相原を出発した横浜線下り貨物列車です。
この日は牽くべき「荷」がなく、緩急車のみを繋げていました。
1981(昭和56)年の11月、相原に停車中の横浜線下り貨物列車です。
この列車は南橋本〜新秋津に設定されたセメントタキの専用貨物なのですが
撮影当日はSGを搭載した600番台による単機でした。(後方より撮影)
上り列車との交換待ちのため、出発信号機は停止を現示しています。
交換待ちの上り列車が入線してきたところです。
この後、助役の右手を挙げた出発合図に短笛一声で応え
ゆっくりと走り出したのを覚えています。
1981(昭和56)年春、新相原トンネルを出てきた横浜線の上り貨物列車です。
当時は旧来の相原トンネルが改修工事中で
現在の下り線を使って単線運転されていました。
牽引機は一つ目が印象的なDD13の初期型です。
満開の桜の下を行く、相模線のDD51です。
撮影場所は南橋本付近、この日は牽く貨車がなく単機での運転でした。

南橋本でのセメント扱いも廃止されてしまいました。
春の相模線を行く、高崎区のDD51です。
この日は今はなき812号機でした。
貨物扱いをしていた頃の相模線南橋本駅です。
三菱マテリアルのセメントを取り扱っていました。

電化前の風景で、腕木式信号機が健在でした。
相模線南橋本駅の荷役線に停車中の貨車です。
まだ八高線が電化される前、
八王子の横浜線ホームのすぐ横には八王子機関区のピット線がありました。
そこにはよく二灯のDD13が留置されていたのを覚えています。
となりには千葉局管内から転属してきたステンレスボディーの気動車が留っています。

全体に朱色の塗装が施されても側面のコルゲートでわかります。
高山本線の名撮影地を行く、DD51牽引のセメント貨物です。
この列車もすでに廃止されています。
高山本線富山口の貨物列車です。
あいにくの雨の中の撮影で、シャープさに欠けてしまって残念です。
上段カットの折り返し列車です。
この日は重連牽引ではありませんでした。
DE10重連牽引による、高山本線貨物列車です。
旧・神岡鉄道まで乗り入れるこの列車もコキによるタンク輸送となったのち廃止されました。
上段の列車の折り返しです。
比較的に長い編成でした。
1日1往復の富山港(貨物)線です。
牽引機はDD13とDD15が共通運用で使用されました。
この日はDD15の牽引。
冬場ならばともかく、それ以外の時期に稼動している同形式の貴重な1カットです。
この日は牽く貨車がなくDD15の単機でした。
秋の日の富山港(貨物)線です。
こちらも富山港(貨物)線です。
単機で走っているのはDD15でした。
富山港(貨物)線、蓮町に停車中のDD15です。
上記カットと同じ日に撮影しました。
富山港(貨物)線の終着駅、富山港の全景です。
蓮町で旅客線とクロスした貨物線は、大広田から進路を北西に向け
新日本海重工業の敷地をかすめて富山港にいたります。
終着駅は1日1往復の列車が折り返す、とても小さな駅でした。
上記カットの右手奥を撮影したものです。
こちらは新日本海重工業側を撮影したものです。
画面左手の信号機は富山港駅の出発信号機です。
列車の組成内容は同社のものがほとんどのようでした。(※1
七尾線能登中島で上り列車と交換待ちをするDD16牽引の貨物列車です。
貨物列車廃止直前の七尾区には3両のDD16が配置されていました。
七尾線七尾−和倉温泉間を行く、DD16牽引の貨物列車です。
4月半ばの桜の頃です。
今は電化された小浜線を行くセメント貨物です。
貨物取扱駅は松尾寺。土日を除く隔日に運転されていました。
こちらも小浜線を行く、貨物列車です。
小浜線といえば以前は舞鶴口からのDE10三重連が有名でした。
当時の主要荷主は日本板硝子で、松尾寺にはいつもたくさんの無蓋車がとまっていました。
旧・宮津線由良川鉄橋を行く、DE10牽引の貨物列車です。
丹後山田まで運転されていました。
こちらも旧・宮津線由良川鉄橋を行く、DE10牽引の貨物列車です。
上段のカットの逆サイドから狙ったものです。
撮影は1982(昭和57)年の7月下旬。
この頃にはすでに緩急車が省略されていました。
呉線の貨物列車です。
広が貨物取扱駅だった頃、DE10牽引の貨物列車が運転されていました。
こちらも呉線の貨物列車です。
毒劇物用タキも連結されています。
広駅での1カットです。
多くの側線が鉄道貨物全盛期を偲ばせます。
1980年代半ばの呉線吉浦駅構内です。
草生した構内と取り残されたような荷役ホーム。
それは岸壁に隣接し、船と鉄道の接点だったことが容易に想像できます。
そんな光景をかすめるように
廃止間際の貨物列車が通過していきました。(画面右)
境線での1カットです。
境線の境港と山陰線の知井宮まで運転されていた貨物列車は
ラワンの原木を輸送していました。
これは貨車の空車返送です。
境線での原木輸送の風景です。
これが鉄道による原木輸送の最後となってしまいました。
一見単機に見えますが、長い空車返送のチキを牽く境線DE10貨物列車です。
境線の原木輸送の積車運転は1日1本のみで、そのほかは空車返送と単機でした。
DE10の単行機関車は貨車を牽いているときと同じように、目の前をゆっくり過ぎていきました。
8月も半ばになると水田の稲も生長し、機関車の足回りにとどくほどになりました。
この先境港に近づくにつれて砂地になり、水田は見受けられなくなります。
真夏の昼下がり、ホームから撮影してみました。
緩急車と空車の長物車が停車している静かな構内は、
まるで駅全体が昼寝をしているように静かでした。
上段のカットの反対側。
DE10が休憩中です。
境港の待合室越しに原木を積んだ貨車を撮影したものです。
ラワンの原木を積んだ長物車の全体像です。
境線限定運用のワフです。
このカットからはわかりにくいかも知れませんが、列車乗務員室の窓の下には
知井宮−境港 と表示されています。
境港構内奥でのカットです。
錆びたレールに錆びたカプラ、それにガランとした荷役ホーム。
留置されている貨車はすでにお役御免になったものでしょうか。
境港の構内には数両の有蓋車も留置されていました。
しかし撮影の期間中、本線上を走行する姿を見掛けることはありませんでした。
境港のすぐ奥はフェリー乗り場です。
1985(昭和60)年の夏、このフェリー乗り場まで旅客列車が延長運転されました。
1983(昭和58年)、旧・高森線貨物列車最後の夏です。
遠く阿蘇山をバックに立野に進入する、DD16牽引の旧・高森線貨物列車です。
立野での1カットです。
熊本区のDD16は高森線内で貨車を牽くためだけに設定されており、
熊本〜立野を単機で往復します。
同区間の貨物列車は同じ熊本区のDE10が担当していました。
立野に停車中のDD16です。
駅から見える山々がとても雄大だったのを覚えています。
貨物営業の廃止を1ヵ月後に控えた高森の構内です。
貨物営業末期のローカル線としてはたくさんの貨車が留置されいてました。

59.2が全国的な改正でなければ、
高森線の貨物列車は国鉄の分割・民営化まで残ったかもしれませんね。
上段のカットと同じDD16 39号機ですが、撮影場所は鹿児島本線の八代です。
どこかの駅での入換え仕業の帰りでしょうか。
59.2の貨物列車大削減まで熊本区のDD16はいたるところで活躍していました。
真夏の球磨川沿いを走る、肥薩線の貨物列車です。
59.2改正前は全国いたるところに、DE10牽引の貨物列車が走っていました。
番外編@
東北本線、EF58牽引の荷物列車です。
荷物列車も61.10改正で消滅しました。
番外編A
呉線を行く、EF62牽引の荷物列車です。
列車暖房装置があるがため、信州から下関に転属したEF62は
荷物列車牽引を晩年の使命としました。
EF58から引き継いだその任期はとても短いものでした。
番外編B
昭和30年代後半から40年代前半に撮影されたものでしょうか。なんと家畜車です。
亡父のアルバムで見つけた1カットです。
職場の旅行で水上に行ったとき、沿線のどこかの駅で撮影したようです。
管理人も昭和40年代前半、京浜東北線東神奈川のホームで見た
EH10牽引の貨物列車の中に家畜車が連結されていたのを記憶しております。
※「四季を往く」をはじめ他のコーナーにも関連画像が多数あります。
 どうぞご覧ください。
追撮‐ローカル貨物列車
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